結局、私たちの仕事は「なくならなかった」
「AIに仕事が奪われる」
この言葉を耳にするようになって、もうずいぶんと時間が経ちました。10年前も、5年前も、そして今も。まるで「オオカミが来たぞ」という少年の叫びのように、私たちは何度もこの警告を聞かされてきました。
でも、実際の現場はどうでしょうか。
経理も、人事も、総務も。バックオフィスのフロアを見渡して、あるいは自分のPCのデスクトップを見つめて、「あぁ、AIのおかげで仕事がすっかり消えて、毎日暇で仕方ないな」なんて笑っている人は、私の周りには一人もいません。
むしろ、現実は逆です。
便利なツールが増え、AIが普及したはずなのに、なぜか私たちの手元には「正体のよくわからない細かな作業」が山積みになっています。
なぜ仕事は減るどころか「重く」なっているのか
「なくなる」と言われていた仕事が、なぜしぶとく生き残っているのか。
それは、AIがどれだけ賢くなっても、現場に溢れる「情報のノイズ」や、人間特有の「気まぐれなルール」までは片付けてくれないからです。
- 共有フォルダの奥底に眠る、誰が作ったかわからないExcelファイル。
- チャットツールで飛び交う、文脈の読み取れない依頼。
- 「これ、いい感じにお願い」という、数値化できない上司の期待。
こうした泥臭い「事務の摩擦」を一つひとつ取り除き、情報の居場所を整える作業は、AIというスマートな道具にはあまりに不向きです。彼らは綺麗なデータは扱えても、私たちの机の上にある「ぐちゃぐちゃな日常」の整理までは引き受けてくれません。
「奪われる」のを待つか、「飼い慣らす」準備をするか
仕事はなくならない。でも、仕事の「中身」は確実に変わっています。
単純な入力作業や計算が自動化される一方で、残ったのは「どうやって仕組みを回すか」「どうすれば人が迷わずに動けるか」という、より高度で、より人間臭い調整事ばかりです。
ここで分かれ道が生まれます。
「いつか仕事がなくなるかも」と怯えながら、今まで通りのやり方にしがみつくのか。それとも、AIという気性の荒い猛獣を自分の「道具」として飼い慣らし、自分を楽にするための「仕組み」を自らの手で作り上げるのか。
この記事では、派手な成功法則やキラキラした未来予想図は語りません。
ただ、現場で働き、ツールを作り、泥臭く事務の摩擦と格闘してきた私なりの視点で、AI時代に本当に「価値が上がる」と言える仕事の正体について、腹を割って話してみたいと思います。
「仕事が消える」という幻想と、目の前の「重い」現実
「AIが仕事を奪う」という言葉が、当たり前のように世の中に溢れています。でも、今の私たちのデスクはどうでしょう。確かにボタン一つで終わる作業は増えたけれど、それ以上に「正体のよくわからない重い仕事」がずっしりと手元に残っていませんか。
仕事は消えてなどいません。ただ、細分化され、見えにくい場所に散らばっただけです。
AIが連れてきた「丁寧な二度手間」
AIという便利な道具を使い始めて、私たちが手に入れたのは「自由」ではなく、皮肉にも「新しい種類の雑用」でした。
- AIが書いた「もっともらしいけれど、どこかズレている文章」を直す時間。
- 自動生成されたデータの裏取りをするために、結局古いファイルを検索し直す手間。
- 複数のツールを跨いで情報をコピペし、最後は人間が「体裁」を整える数分間。
こうした、システムの隙間に落ちている「砂利」を拾い上げるような作業が、今のバックオフィスの時間をじわじわと食いつぶしています。効率化の波に乗ろうとして、かえって足元に新しい摩擦が生まれている。これが、今の現場の隠せない温度感です。
「ゆらぎ」を許容できないシステムの冷たさ
バックオフィスの現場には、いつも「ゆらぎ」があります。
ルール通りにはいかない人間関係、締め切り間際の突発的な変更、誰かのちょっとした勘違い。
AIは「正解」を出すのは得意ですが、こうした現場の「ノイズ」や「体温」を汲み取ることはできません。0か1かで割り切れない問題を、どうにかして「仕事」として成立させるために、私たちは今日もキーボードを叩いています。
結局、仕事が楽にならないのは、私たちの仕事の本質が「単純な処理」ではなく、こうした「名もなき調整」という名の膨大なノイズ処理で成り立っているからです。
「価値が上がる仕事」の正体。情報の「住所」を決める技術
AIに何ができるかを競う時代は、もう終わりました。
これからのバックオフィスで本当に価値が上がるのは、高度なプログラミングができる人でも、AIを完璧に使いこなす人でもありません。
それは、溢れかえる情報の「居場所」をはっきりと決め、事務の摩擦を最小限に抑える「仕組み」を作れる人です。
100通りの回答より、たった一つの「迷わない入り口」
世の中には便利なツールが溢れていますが、それを導入しただけで仕事が回るほど現場は甘くありません。
本当に必要なのは、
- どこに何があるかが、考えなくても直感的にわかること。
- 次に何をすべきかが、目の前のスマホに「住所」として存在していること。
AIがどれだけ賢くなっても、あなたの会社の、あなたのチームの「情報の定位置」までは決めてくれません。そこにある「使い勝手の悪さ」に気づき、1ミリずつ使いやすく整えていく。その泥臭い執念こそが、AIには代えられない、人間ならではの「専門性」になっていきます。
仕組みを「飼い慣らす」側へ回る
「仕事がなくなる」と怯えるのではなく、自分の周りにあるノイズを一つひとつ、仕組みという名の「檻」に入れて飼い慣らしていく。
大掛かりなシステム改修を待つ必要はありません。
手元にあるスマホやPCの中で、自分が一番楽に動ける「情報の住所」を整えることから始める。その積み重ねが、いずれ「あなたにしかできない、手触りの良い仕事」へと変わっていきます。
なぜ「流行りのAI」は、現場のイライラを救えないのか
「とりあえずAIを導入すれば、事務作業は勝手に消える」
そんな淡い期待を持って、高機能なツールを触ってみたものの、結局以前よりも手間が増えた気がする。そんな経験はありませんか。
なぜAIは、私たちの「現場のイライラ」を根本から救ってくれないのか。それは、AIが想定している「きれいな世界」と、私たちが生きている「ぐちゃぐちゃな現場」のあいだに、埋めようのない溝があるからです。
10秒で終わるはずの作業に、なぜ10分かかるのか
例えば、取引先から届いたバラバラの形式の名簿から、メールアドレスだけを抜き出してリスト化する作業。
AIに「このファイルからメルアドを抽出して」と頼めば、確かにやってくれるでしょう。でも、そのためにファイルをアップロードし、指示文(プロンプト)を考え、出力された結果が正しいか一列ずつ目で確認する。……これ、本当に楽になっていますか?
結局、自分でやったほうが早い、あるいは「AIを使いこなすための作業」に追われている。
現場が本当に欲しがっているのは、壮大なAIの回答ではなく、「このボタンを押せば、今のこの形が整う」という、おせっかいなほど直球の解決策です。
「(株)」と「株式会社」のあいだに宿る、AIの限界
事務の現場には、AIが「誤差」として切り捨ててしまうような、細かいルールが無数に存在します。
- A社は「株式会社」を前に、B社は後ろに。
- 請求書の保存名は「日付_会社名」で、でもこの案件だけは「担当者名」を最初に入れて。
- Excelのフォーマットは、なぜか特定の人だけが使う「隠し列」がある。
こうした、組織特有の「変な癖」や「暗黙の了解」に、汎用的なAIは対応しきれません。AIに無理やりやらせようとすると、かえって設定が複雑になり、誰も触れない「ブラックボックス」が出来上がるだけです。
欲しかったのは、手のひらに馴染む「不器用な道具」
今、バックオフィスで価値が上がっているのは、最新のAIを語る力ではありません。
自分の周りにある「30秒のイライラ」を、自分専用の、ちょっと不器用で、でも確実な「小さな道具」で解決する力です。
- 決まった形式に文字を整えるだけの、小さなスクリプト。
- スマホでパッと開いて、次にやるべきことだけが書いてあるシンプルな画面。
派手な機能はいりません。
「誰にでも使える」ではなく、「今の、私のこの作業」にだけピタリと合う道具。
そんな、自分の手の延長のように扱える仕組みを「うしろぽっけ」に忍ばせておく。この、ある種の「賢い手の抜き方」を知っている人こそが、これからの時代、疲れ果てずに価値を出し続けられる人なのだと思います。
まずは「事務のささくれ」を一つ見つけることから
「仕組み化」なんて言うと、なんだか大層なシステムを組んだり、プログラミングの英才教育を受けたりしなければいけない気がしてきます。でも、私が提案したいのは、そんな立派な話ではありません。
まずは、あなたの仕事の集中力を削いでいる「事務のささくれ」を一つ見つけることから始めてみませんか。
傷ではないけれど、ずっと指先に障る「あの感じ」
ささくれは、大怪我ではありません。放っておいても死ぬことはないけれど、キーボードを叩くたびに、あるいは資料をめくるたびに、服の繊維に引っかかって「チリッ」と小さな痛みを走らせます。
事務作業における「ささくれ」も同じです。
- 共有サーバーの奥深くにあるファイルを開くたび、3階層目くらいで一瞬「えーっと、どっちだっけ」と迷う数秒間。
- メールの宛名を書くとき、毎回「株式会社」が前だったか後ろだったか不安になって、過去の送信履歴を検索する手間。
- 印刷設定を確認するたび、毎回「片面」を「両面」に変更し直す、あの指先の動き。
時間にして、わずか数秒。
でも、これが積み重なると、あなたの脳は無意識のうちに疲弊していきます。「小さなイラ立ち」が1日に何十回も繰り返されることこそが、あなたの「事務の摩擦」の正体です。
「慣れ」という名の思考停止を、今日でやめる
私たちは真面目です。
「これ、面倒だな」と思っても、「まあ、ちょっと我慢すればいいし」「慣れちゃえばなんてことないし」と、自分の努力でそのささくれを無視しようとします。でも、その小さな我慢が、本来もっと大切で、人間にしかできない「考える仕事」のためのエネルギーを奪っているのです。
これを「仕方ない」で済ませず、「どうすれば、何も考えずに終わるか?」と、一度だけ真剣に疑ってみる。
100点の自動化を目指す必要はありません。「指先に障る引っかかりを、ヤスリで少しだけ滑らかにする」くらいの感覚で、自分専用の小さな仕組みを置いてみる。その微かな手応えこそが、AI時代に「自分の仕事」を自分の手に取り戻す、第一歩になります。
自分のための「情報の定位置」を飼い慣らす
仕組み化のゴールは、誰かに褒められることでも、最新技術を使いこなすことでもありません。
あなたが、「自分のリズムを崩さず、機嫌よく働き続けること」です。
「うしろぽっけ」に、自分専用の道具を忍ばせる
市販のツールや会社から支給されたシステムは、確かに高性能です。でも、あなたの手の大きさや、あなたの指の動かし方までは配慮してくれません。
だからこそ、私は「自分専用の、手になじむ小さな道具」を持つことをおすすめしています。
- 探す手間を省くための、自分だけにしか分からない「情報の住所」。
- 押し間違いのない、ぷっくりとした押し心地の良いボタン。
- 難しい言葉を使わず、直感的に「次はこれ」と教えてくれる、スマホ対応の画面。
そんな、あなたの癖やリズムに寄り添った仕組みを、そっと後ろのポケットに忍ばせておく。
必要な時だけ取り出して、使い終わったら存在を忘れていられる。その「道具とのちょうどいい距離感」が、終わりのない事務作業に、静かな自由をもたらしてくれます。
価値が上がるのは、自分の仕事を「整えられる」人
AI時代に価値が上がるのは、AIに何でもやらせようとする人ではありません。
自分の現場にある小さな「ささくれ」から目を逸らさず、泥臭く「仕組み」を整え、それを信じて使い続けられる人です。
仕事はなくならない。けれど、あなたの「我慢」だけで回す仕事は、もう終わりにしましょう。
今日見つけた小さな引っかかりを、仕組みでそっと滑らかにする。その積み重ねの先に、あなたらしい、地に足のついた働き方が待っています。